悲しみ 苦しみから抜け出したい

日常生活ブログ

悲しみと苦しみのなかで生きる日々|母との死別から立ち直れなかった頃の記録【3年前の記事】

こんにちは、たつきさんたくです。

この記事は3年前、母を亡くした直後に書いた記録をリライトしたものです。

当時の私は、

悲しみ・不安・苦しみの中を、たださまよいながら生きている感覚でした。

出口の見えない暗闇のトンネルを、意味もなく歩き続けているような毎日です。

母との思い出が「思い出せない」のではありません。

むしろ思い出すと、優しくて、あたたかくて、

それが余計につらかった。

「いつになったら、この記憶を温かい気持ちで思い出せるんだろう」

そんな問いが、頭から離れませんでした。

創作活動を再開できるまでに時間がかかった

少しずつではありますが、当時の私は創作活動を再開し始めていました。

イラストを描いたり、気持ちを文章に書き出したり。

このブログに添えているイラストも、その一つです。

不思議なことに、

イラストを描いている時間だけは、ほんの少し気持ちが落ち着いた気がしました。

「気持ちを書き出すこと」「創作すること」は、確かに効果があったと思います。

でも、そこに至るまでが本当に長かった。

2週間前までは、

何も手につかず、何もできなかった。

思い出が「癒し」ではなく「痛み」になる瞬間

ハンドメイドでポーチを作ろうとしても、

昨年、母が遊びに来てくれたときの温かい記憶が、

逆につらい記憶としてよみがえってしまい、作れなくなったこともありました。

西遊記の舞台を観に行ったとき、

自分でも買えたのに、あえて母に買ってもらった財布。

その財布を見ることすら、できない時期がありました。

「思い出=支え」になるまでには、

時間と心の余裕が必要なんだと、このとき初めて知りました。

少し落ち着く日も、確かにあった

正直に言えば、

当時は不穏な日々のほうが圧倒的に多かったです。

感情の振れ幅も大きく、

落ち着いたと思った翌日に、また深く沈む。

それでも、

「昨日はあまり不穏にならなかった」

そんな日が、ほんのたまに訪れるようになっていました。

その小さな変化だけが、

「もしかしたら少しずつ前に進んでいるのかもしれない」

そう思える唯一の希望でした。

自分に合っている「気持ちの和らげ方」は分かっていた

当時の私は、

自分に合っている気持ちの和らげ方が一つだけ分かっていました。

それは、

信頼できる人に気持ちを吐き出すこと。

私の場合は、

気持ちを否定せずに受け止めてくれる訪問看護師さんの存在が、

何よりの支えでした。

苦しくなったとき、

話を聞いてもらえるだけで、少し呼吸ができるようになる。

ただし、

これは「誰でもいい」わけではありません。

本当に気を許せる相手でなければ、逆にしんどくなってしまいます。

ひとりで気持ちを和らげる方法が見つからなかった

一方で、当時の私は

ひとりで気持ちを和らげる方法がほとんど見つかりませんでした。

人に話すには、相手が必要です。

電話がつながらなければ、

悲しみや苦しみはそのまま続きます。

カラオケにも行ってみました。

でも、楽しめませんでした。

ゲームも、以前のように楽しめなくなっていました。

残った方法は、

創作活動をする

気持ちを文章に書き出す

それだけ。

「本当に時間が解決してくれるのだろうか」

「今、苦しい。今、助けてほしい」

そんな気持ちで、この文章を書いていたのを覚えています。

※3年後の今から振り返って

この記事は、母を亡くして間もない頃の、

心が壊れかけていた時期の記録です。

3年経った今、

あの頃よりは確実に心は落ち着いています。

でも、悲しみが完全になくなったわけではありません。

それでも言えるのは、

無理に悲しみを断ち切ろうとしなかったこと、

創作や言葉に逃げ場を作ったこと、

それが、結果的に自分を救ってくれたということです。

もし今、同じように

大切な人との死別で苦しんでいる人がいたら。

「大丈夫」なんて言えません。

でも、

今は暗闇でも、少しずつ変化は訪れる

それだけは、はっきり伝えられます。

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